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会議番号:3650 開催期間 2021年07月30日- 08月06日
いま私たちの目の前で開催されている東京2020大会は、世界のどんな理想と現実を映し出しているでしょうか、という問いかけに、たくさんの投稿をありがとうございました。 みなさんの投稿を読んで、コロナ禍の東京2020大会でなければ、成功、祝祭、勝利といった言葉で覆われ、もしかしたら気づかないままになってしまったこともあったように感じました。 オリンピック大会は、他のスポーツ大会と異なりセレモニーの要素が多い上、何種類もの競技を運営し、選手の生活の世話をし、文化的な差異から生じるトラブルなども解決していくことになります。複雑な運営に加えて、コロナ禍という想定外の出来事があったために、真打ちさんのご意見のように「組織のあり方が問われ」、それは過去の大会以上に必要なことだと考えられます。 利権、商業主義、政治の玩具/道具など、世界を映す鏡としてのオリンピックの「影」については、どの投稿でも触れられています。「国にとらわれない」ことが難しくなっていることに気づかされるというシンゴパパさん、ただのメダル合戦になっているという地球交響曲さんも「影」に着目しています。そして、「理想と現実がかけ離れている」というニライカナイさん。 私は、オリンピックの理想は、手を伸ばすと届きそうなのにつかむことができない、まるで虹のような存在だと考えてきました。オリンピックは、祝祭やスポーツの発展の歴史というよりは、理想を前に失敗と挫折を繰り返す人間社会の歴史といってもよいかもしれません。それでも、「虹はない」「虹は消えた」と考えて理想を手放せば、私たちは手を伸ばす(=アクションを起こす)ことを止めてしまうかもしれません。 世界を映す鏡の中に社会の希望、「光」を見つけた投稿もありました。「人々の交流のエピソードには共鳴する」というcostasさん、「アスリートの姿には国を超えた個人の価値が映し出される」というひるねさん。 このような「光」は、世界中から選手たちが集まり、それぞれが目指すものに向かって懸命に取り組む場所があるからこそ、私たちの目に映ります。「選手に目標の場を提供できた」というやっちゃんさん。提供した場から、その気になれば、私たち自身がメッセージを受け止めることができる、ということですね。 紛争や差別をなくそうという思いを共有する人々が集まり、わずか2週間とはいえ、平和な「地球村」が仮設されるような試みは、オリンピック大会をおいて他にはありません。スポーツだから実現できていることだとされています。東京2020大会の場合、33競技339種目1エキシビションに選手が集まりました。取り組む競技が違えば、選手の個性も違った傾向を示します。 「理念がある」だけでなく、多様な人々が集まるための仕組みが備わっている、という点も他のスポーツ大会とオリンピックの大きな違いです。この仕組みも、初日にお伝えしたクーベルタンの意図にもとづいたものです。 多様な人々が集まるという意味では、第1日目までの投稿の中にJerrbさんの「弱小国が参加できること」という指摘がありました。実はこれ、オリンピックの商業主義化とも関係しています。 オリンピックの「光」と「影」。可能な限り「光」を大きくするための最終日の議論に向けて、たくさんの投稿が着目してきた「影」である商業主義について、みなさんの考えを教えてください。オリンピックの商業主義化は「悪」でしかないのでしょうか。私たちは、オリンピックの商業主義化をどのようにコントロールしていけば良いのでしょうか?
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