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会議番号:3650 開催期間 2021年07月30日- 08月06日
たくさんの投稿、ありがとうございました! 私たちが目にする日本のオリンピック報道の多くが、日本人選手の活躍、特にメダルを獲得したかどうかを報じています。また、国別のメダル獲得ランキングは、より多くの読者や視聴者をひきつける重要なコンテンツだとされています。 そのため、オリンピックは他のスポーツ大会と異なり、国別対抗戦だという印象があるかもしれません。 ところが…。オリンピック憲章(pdf)には「大会は個人またはチーム間の競技であり、国家間の競技ではない」ことが定められているのです(2020年版第6条)。 この考え方は、19世紀末にオリンピック・ムーブメントを創始したピエール・ド・クーベルタンが強く主張し、現在まで引き継がれているものです。なぜクーベルタンは、このような主張をしたのでしょうか。 クーベルタンが少年だった時代、ヨーロッパは戦争に明け暮れていました。そのため彼は、国の違い、労働者や人種に対する差別を乗り越えて、国同士が争わない世界をめざさなければならない、と強く願っていました。では、どうすればよいのか…。 「力と欲望のコントロールを学ぶための教育が人間には必要だ」 それが彼の答えでした。この考えにとって、スポーツは最良のツールでした。スポーツならば、言語の壁も越えることができます。 そこで彼は、国という枠を超えてスポーツを通じた教育のムーブメントを起こそうと思い立ちました。4年に一度、大会を開催すれば、そこは、教育の目的を人々が思い出し、互いを知り、讃え合うための場所になるだろう…。これがクーベルタンの発想でした。 オリンピック大会は、スポーツの勝敗を競うかたちをとりながら、日々の教育的なムーブメントの成果と課題を確認する場である、ということに特徴があります。「勝ちたい」という人間の最も単純な欲望を満たそうとする活動の中で、人間は、力と欲望のコントロールに成功することも、失敗することもある、そのすべてが大会には映し出されるというわけです。 さて、オリンピック憲章に話をもどしましょう。アスリートやスポーツを専門に学ぶ学生でもなかなか読まないというオリンピック憲章を読み、高い理想を掲げる大会だと紹介してくださった投稿(blueberry53さん)がありました。 とはいえ、blueberry53さんのご指摘にもあったとおり、憲章に掲げられた理想と現実には、大きな違いが生じてしまっています。 その理由は、クーベルタン自身が白人の貴族階級の男性であり、オリンピックもその価値観から脱しきっていないからなのか、商業主義の影響か、メディアの影響か、はたまた政治の道具化していることなのか…。2kishir0さん、SallyChanさん、Jerrybさん、ひさぽんさん、シンゴパパさんの投稿に、これらのキーワードが登場していました。 大会は「世界を映す鏡」だと言われています。今、大会は東京で開催され、私たちにとって身近な存在になっています。いつもより、様々な角度から大会での出来事を知ることができます。みなさんは「世界を映す鏡」に、どんな理想と現実を見ていますか?
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