働く女性の声を発信するサイト『イー・ウーマン』
会議番号:3479 開催期間 2018年02月02日- 02月09日
本日も多くの投稿をいただきました。吃音についてはunagiさんのようなご意見をお持ちの方も多いと感じますが、8歳以降でも吃音がみられると思春期以降まで持続する、症状として顕れるのはその一部であり本人の負担が大きい、「ゆっくりしゃべって」という働きかけはむしろ本人にストレスを与える、など正しく理解されていないことが多いです。DCDの症状は「不器用さ」であり、単に運動がうまくできないということではありません。筆記に時間がかかる、小銭を財布からなかなか出せない、紐を結べないなどで、誤解によるいじめや他者からの低評価につながります。「チック」の症状がある人は多いものの、1年以上持続し多彩な症状を呈する「チック症」としての概念はまだまだ普及していないようです。 ぺりさんの「具体的にどういう状況をさすのかよく理解できない」というご指摘のように、理解するのは難しいと言えます。しかし当事者の人が社会生活を行う上でどのような困難さがあるのか「知ること=情報を共有すること」は重要です。たとえば、学習障害の人は、配布された資料をみて即座に理解できない、内容は理解できても文字で表現するのに時間がかかることも少なくありません。みんなでその情報を共有しないとfairな環境にはならず、本人は低評価に苦しむことになります。 鳰さんは、家族の状況について「グレーゾーンというのはover diagnosisである」という投稿いただきました。発達障害には遺伝性があります。家族の中ではその特徴の一部を持ち合わせている人が多いのですが、診断できる人はその一部です。ただし診断には至らなくても、抑うつ感が強い、誤解され周囲からの評価が低い、などの二次的な困難さを持ち合わせることは少なくありません。 ダンス・ダンス・ダンスさんのご意見に代表されるように、「個性のひとつとして受け止める」という社会の風潮は強いようです。私は、著書(朝日選書)で「発達障害を『個性』でなく、あえて『疾患』として考える」として、一部の読者の方から批判をされています。そもそも精神医学の診断基準は「個性の範囲を超える人」を想定しています。それぞれの人のどの部分が「個性を超えるのか」を判断し、「個性の範囲」が収まり社会の一員として生活できるように、ニーズを提供することが、医療の役目だと考えています。しかしながら、個性の範囲を超える人が10%もいるとなると、身近な存在になり、「個性」として、社会の理解の幅を広げるということも必要なことです。 個性としてとらえる、という考えの背景には、Equalを是とする日本人の価値観もあるのかもしれません。しかし重要なのは、発達障害に限らずさまざまな障害のある人が、社会の中でどうすれば「fair」な状況になるのか、どのような「合理的配慮」を行うことができるのかを話し合うことです。 いただいた多くのご意見に十分のお応えすることが出来ませんでした。広がる概念と混乱する社会、そして真の支援には結びつきにくい現況。機会があれば焦点を絞って、再び円卓会議を開催できればと思います。1週間お付き合いいただきありがとうございました。★古荘議長の著書もお読みください『発達障害とはなにか 誤解をとく』(朝日選書)★古荘議長の過去の円卓会議より・発達障害の『障害』という診断名、違和感ありますか?・病気か個人の問題か、迷うことはありますか?・家族に障害者がいることは不幸だと思いますか?
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